時代性

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 少し前に、日系アメリカ人の少年を3日間だけ、預かったことがあった。その少年のお母さんは日本人で米国在住の水彩画家なんだけど、京都出身らしく、彼女のサイトを見ると、京都を描いた水彩画が多く掲載されている。

  写真を撮るときに、古い寺院の背景に現代的なマンションが建っていたり、飲食店の看板や電柱があったりすると、僕の作品が写真ではなく絵画だったら、絶対にそういうものは描かないなと思うのだが、そういったものを排除せずに描いている。  おそらくそういったものを敢えて描くことで、その時代を描いているのだろう。寺院のみを描いてしまうと、いつの時代に描いたものなのか、分からなくなってしまう。

  写真は、邪魔なものがあったとしても、その場所を撮影する限りは、それを排除することは出来ない。写真のために電柱を引っこ抜いたり、マンションを取り壊すなんて出来ないから。デジタル処理をすれば可能であるとは思うが、それはまた別の話だ。どうせ、排除出来ないのなら、それを生かせばいい。スナップ写真や、一般風景写真(自然風景以外)には、そんな魅力もあるんだろうな。

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このページは、うたろうが2011年9月11日 21:18に書いたブログ記事です。

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