雑記の最近のブログ記事
自転車であちこち行くのに、気軽に持ち運べる中判カメラ「ペルケオ2」を、この数か月、探し回っている。大阪や名古屋の中古カメラ屋を複数回、しつこく回ったが、結局、出会えないまま月日が流れた。今回の「名鉄クラシックカメラバーゲン」で見つからなければ、通販で買おうと決意するべく名古屋へ向かった。いい加減に入手しないと、捜索コストばかりかかってしまうし、人生の時間は限られているということで、どこかで踏ん切らないといけないわけである。
しかし、このデジタルカメラのご時世に、こんな催事に人が来るのかと思ったが、平日の午後にも関わらず、たくさん人がいた。名古屋の中古カメラ市は栄のマルエイが閉店する前までは、定期的に同デパートで開催されてた。その時よりも、名鉄百貨店の催事場は狭いので、人口密度が高くなった分、混雑しているような感じがある。予想はしていたが、やはりペルケオ2が置いてある出店ブースはなかった。そんなわけで、通販で探すことに決定した。
ペルケオ2はなかったけど、即退散するのはおもしろくないので、売られているカメラ達を見てみる。ライカ関連は、カメラもレンズもたくさん売られている。M4あたりは、10年前の半額くらいになっているような気がする。レンズは値下がりしているような気がしない。大判カメラも安くなっているような気がする。フジの引き延ばしレンズ135mmが売られていたので、買おうかと思ったが、よく見るとカビ痕があるので、やめた。結局ここで買ったのは、100円のPOフィルターだけ。催事場入口に、写真・映像用品のカタログが置いてあったので1冊いただいた。これ、今でもあるんだ。かつて、カメラショーに行くとカメラのカタログと一緒にもらって、食い入るように眺めたものだ。中を少しめくってみると暗室用品も少し掲載されている。
それにしても、つくづく思うのは、きちんと磨かれた状態で販売されているクラシックカメラはとても美しいということだ。
その後、森カメラ、トップカメラ本店、ヒダカヤ、レモン社、トップカメラ大須、コメ兵の中古カメラコーナーを回った。トップカメラ本店で、ワルツの32mm被せ式フードを500円で買った。多分、ペルケオ2にジャストフィットするに違いない。まだカメラが手元にないのに、フードを先に買ってしまった。
この空を見ながら、ドリカムの「空を読む」が、脳裏でリフレインしていた。
僕も以前、サイパンを訪れたことがある。2005年の9月のことだ。この頃は、フジのプレストのブローニーがまだ売っている頃だった。海外旅行に中判カメラを持って行ったのはサイパンが初めてだった。南の島へ行くのにモノクロフィルムなんて普通に考えたら妙な選択なのかもしれない。しかし、元々モノクロフィルムしか使わない僕には、それが唯一のものであり、カラーとモノクロ、どちらを持って行くかで悩むことはなかったのだ。
サイパンは、グァムと比較すると、田舎な感じがする。でも、もう一度行くならサイパンを迷わずに選ぶ。何もない静かな浜辺があればそれでいいのだ。デッキチェアーがたくさん並んだ賑やかなビーチもいいけど、地元の人が散歩しているような浜辺がいい。
サイパンヘは夜中に到着した。安ホテルで一晩過ごして、翌朝、ホテルの前のビーチを散歩した。チャモロの太った大柄な男性が、一心に浜辺に穴を掘っていた。いったい何を埋めるための穴なのか、それが判明したのはその日の夜のことだ。
海沿いの道を、ニューマミヤ6を持って、撮影しながらひたすら歩いた。途中、スコールに遭ったので、軒先に避難した。チャモロの人たちが地元の祭りをやっている。プラスチック製のイスを、バンバンと破壊していると思ったら、どうやらイス取りゲームをしていたみたいだ。体格が大きすぎるので、ゲームが白熱してくると、プラスチックのイスでは耐え切れずに、砕け散るのだ。その様子を見ていた、体格の良いおばさんが、豪快に笑っていた。あまりにも楽しそうだったので、しばらくその様を眺めていたら、10歳くらいの少女が、僕にケーキを持ってきてくれた。その後、彼らに招かれ、フライドチキンやチャーハンをご馳走になった。日本語を話せる、おばあさんがいて、私たちはサイパンに住むパラオ人の集まりだと言った。イス取りゲームが、ここまで楽しいものだとは思わなかった。礼を言い、その場を離れた。
スコールが止んだので、散歩の続きを始める。海に眼をやると、タコが岩にへばりついている。捕獲しようと試みたが、足が切れて逃がしてしまった。その足をそのまま口に放り込む。口の中でモニョモニョと動いているが、そのまま味わった。ホテルに戻り、午睡の後、再びホテルの前のビーチを歩いた。陽が沈むわずかな時間、撮影に専念する。周囲が暗くなった頃、この浜辺でも地元の人たちの祭りが始まった。簡単なステージが設けられて、そこでファイアーダンス等が演じられている。しばらくそれをぼんやりと眺めていたら、料理が載ったプレイトを10歳くらいの男の子が持ってきてくれた。他にも料理があるから、好きなのを取って食べていいと言われたので、ご馳走になることにした。その中に、ブタの丸焼きがあった。これを作るために、砂浜に穴を掘っていたのか。
グァムでは、残念ながらこのような出会いはなかった。あまりにも観光地化されていて、生活をしている人たちには、ほとんど出会わなかったのだ。僕がサイパンに思い入れが強いのはそのためだ。
この写真、とても気に入っているけど、ネガに傷を付けてしまったのでもう再プリントすることは出来ないのが残念。
それで、部下にどんな内容の手紙を書いたかのかなんだけど、それはこのブログの記事とほとんど同じ内容。誰かと出会って自分のサイパンを見つけなさいってことだね。
自転車での散策がメインになってしまい、撮影は一箇所のみであった。帰りに琵琶湖で写真が撮りたかったので、車に大判カメラ一式を積んでおいた。
水辺ではは、日没前後のわずかな時間に好んで撮影を行う。この時間帯は光が弱いので、きつい陰影が出ない。
カヤックで琵琶湖を回っていたときに、比良駅近くの古い集落がある浜辺をとても気に入った。カヤックに乗るときは、大判カメラは持っていかないので、水辺の撮影ポイントのロケハンのみとなる。星野道夫さんはカヤックで撮影していたみたいだけど。
リンホフMT2000に、CMフジノン105mmを装着する。縦位置だと、フォーカシングトラック写りこまないように気を使わないといけない。タチハラだと、レンズを最前部に出せるので、そういう心配はないのだが。
構図と露出を決めて、フィルムホルダーを挿し込もうと思い、バッグの中を探すと、何と撮影済みのフィルムホルダーしかない。自宅で間違えてバッグに入れてしまったようだ。
気を取り直して、ローライコード4を三脚に取り付けて撮影した。画像のとおり、どんよりとした天気で形の良い雲には恵まれなかった。押さえの1カットという感じだな。またいつかここへ来よう。
しかし、「五彩を表わす」と言っても、それは普遍的な共通認識があるものに限られる。前述した、空や森、雪といったような、経験により記憶したものしか鑑賞者は色を感じ取る事は出来ない。
モノクロ写真では、セーターを着ている人物のセーターの色までは表現出来ないのだ。その場面において、セーターの色が重要な意味を持つのであれば、もはや表現手法の選択からして間違っていると言える。最初からカラーで撮ればいい。
しかし、そういう場合、その物体の色は大して意味はなさないのだ。意味はなさないので、セーターの色には気にも留めない。つまり観念的な段階で抽象化されているとも言える。
水墨画も白黒写真も、その表現方法が発生した段階では、技術的にカラー表現が出来なかったため、モノトーンで表現するほかなかった。考えてみれば、かなり強い制約である。その制約下において諧調表現を模索してきたのだ。技術的にカラーで表現することが可能になった時代においても、その表現方法は独特なものとして存在し続けている。たぶん、これからもずっと。
昼過ぎまで寝てしまった。起床したら雑煮が出来ていたので、お屠蘇をちょっとだけ飲んでキスデジにニッコール50mmを装着して開放で撮影。プログラムでは、2EVほどオーバー露出になる傾向にあるようだ。マウントアダプターを使用しているので、近距離での開放では正確なピントが出ない。そのズレは勘で補正する。
その後、無水エタノールでレンズを清掃する。今夜も昨日に引き続き、photo.net 無作為閲覧に興じよう。
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