フレーミング・トリミング

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 アンセルアダムスの「The Print」を折りを見て、あちこち読み進めている。それにしても、和訳の仕方が下手くそというか、この本の日本語は非常に分かりにくい。この本の中に、次のような記述がある。

「理想的には最初の想定は画像の各部分の最終的な比率と、望む縁取りとを含んでいなければならない。しかし、自然の題材はかなり複雑で不規則であり、私たちがそれを避けようと、いかに注意をはらおうとしても、小さな部分が縁に干渉して視覚的な注意を散漫にさせるだろう。ビューカメラでは、こうした細部の処理は比較的たやすいが、ロールフィルムカメラではそれらに気付くことはまったく困難であり、ハンドカメラの使用ではさらに困難となる。」

 つまり、分かりやすく言えば、フレーミングはビューカメラがし易く、フォーマットが小さいカメラを使うほどそれは難しくなる。と言ったことだろう。

 それは、最近かなり実感している。初めてビューカメラのピントグラスを見た時は、逆像にかなりとまどったが、しばらくするとそんな事は慣れてしまう。目視できる画像面積が広く、ピントグラスに格子線が引かれているため、緻密に作画することが可能である。しかも、ハンドカメラのように、いくら水平を取る努力をしても、手持ちでは、完璧にそれを実行するのは、不可能と言える。

 しかし、ここである種の矛盾が生じる。フォーマットが大きければ、多少のトリミングは画質には何ら影響することはないが、35mmでトリミングするのは、かなり影響が大きい。しかし、トリミングする機会が多いのは、35mmが圧倒的に多い。

 このことを、もう少し考えてみよう。アンセルアダムスは、フォーマットの大小で、フレーミングのしやすさが決まると言っているが、カメラの構造にもそれは異存すると思う。RF、SLR(プリズムファインダー)を手持ちで撮影するのであれば、35mmでもブローニーでも、それは同様だと思う。TLRや、ハッセルブラッドのようなウエストレベルファインダーであれば、全体を見渡すのが容易であるため、作画し易いといえる。三脚に据えれば、さらに作画はし易くなるであろう。

 アンセルアダムスは、ノートリミングには拘らない人だ。しかし、彼の場合は、撮影後の救済措置としてトリミングするわけではない。ビューファインダー上で撮影時にトリミングしてしまうのである。8×10フォーマットで撮影しても、理想的なアスペクト比率が、6×7であれば、撮影時にそのようにしてしまうのだ。こういったことは、小フォーマットになるほど、実行は困難になる。

 僕は、残念ながら、まだまだそこまでは自由な撮影者ではない。4×5なら4対5、6×9であれば6対9でフレーミングしてしまうのである。つまり、指標がなくては、フレーミング出来ないのだ。自由な比率で、切り出すことが出来る視点を持つことが出来たら、世界は変わるかもしれない。35mmばかり使っていると、2対3の呪縛から解き放たれることはない。

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このページは、うたろうが2006年11月18日 21:55に書いたブログ記事です。

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