写真表現いろいろ

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 木村伊兵衛賞を受賞した梅佳代の「うめめ」という写真集を見たことがある。写真集としては、価格が手ごろなので、売れるのも納得できる。掲載されている写真について、好きか嫌いかと問われたら、僕は好きだと思う。しかし、この写真は、いわゆる「おもしろ写真」の類であって、美術館の壁に架けて鑑賞に堪えられるようなものではないと思う。


 撮影時に、あまりにも心が高揚していて、露出やピントが外れていたり被写体ブレのある写真に対して、通常なら技術的な失敗に過ぎない事柄であるにも関わらず、作者の心情を表すのに一役かっていると言われることがある。それなら、そういった写真を撮る時にAFや多分割測光のカメラを用い、たまたま露出もピントも合った写真を撮ってしまったなら、それは失敗写真なのだろうか?
 たまに、被写体がブレたのは心が感動してブレたからだといった事が書かれているのを読むことがあるけど、僕には、それはいったい何のことか分からない。そんなものは、眉唾ものだと思っている。

 一部の写真表現は、写真以外の芸術とは大きく違う点があると思う。絵画でも彫刻でも、それらは計算ずくで作られていて、偶然発生したものを芸術作品とされるのは、かなり稀有な存在であると言ってよい。実際に、美術館に赴き、作品を見てみるとそれは分かると思う。彫刻でも絵画でも、制作時に心が高揚しすぎて、つい技術的な失敗をしてしまったが、それが効果的な表現になるなんてことはないと思う。音楽にしてもそうだ。心が高揚していたので、演奏に失敗したのが効果的な表現になるわけはない。

 写真表現すべてがそういった偶然の産物を受け入れる余地があるかというとそうでもない。アンセルアダムスなんかは、計算ずくで作品を作っていたと思われる。ブレに対して、観念的な解釈なんて、しなかったに違いない。

 いろいろな考え方があるかもしれないが、僕自身としては、表現というものは、後付の解釈であってはならないと思っている。

 

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このページは、うたろうが2007年3月27日 22:25に書いたブログ記事です。

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