落ち葉舞う公園で

| コメント(0) | トラックバック(0)

 大判カメラというのは、ど素人が、買っていきなり使えるような代物ではない。しかし、言い換えれば、ど素人こそ、大判カメラで勉強すべきなのかもしれない。カメラの原点みたいな造りだから、嫌でもいろいろ勉強になる。

 大判写真を始めて、なんだかんだで、フィルムを30枚近く消費した。しかし、やっと何とかプリント出来るようになってきたのは、つい最近で、それまではフィルムを無駄に感光させてしまったり現像で失敗したりして、散々な結果だった。

 なぜ、これほどまでの苦労をして、大判カメラを使うのか言うと、ただ単にフィルム面積によるアドバンテージだけではないような気がする。そんな事ではなく、もっとメンタル的な行為なのだ。同じ写真を撮るという行為にも関わらず、小フォーマットのカメラとはかなり違った気分を味わう事が出来るという理由の方が僕には大きい。まだ、大判写真を始めて間もないのであるが、何となく大判写真は、フォーマルな写真のような気がするのだ。例えば、ポートレイトを撮るなら、僕は今なら迷わず大判カメラを使うだろうと思う。ここで言うポートレイトというのは、いわゆるモデル撮影会で撮るようなものではなく、どちらかというと、写真館で撮るような昔ながらの古典的な肖像写真のことである。人を撮るなら、ぼくはこの手法で撮影した方がいい。スタジオ等で、フィルム(今はデジカメだと思うが。。)を、何百枚も回すような写真の撮り方は、好きではない。

 人と向き合って写真を撮る場合は、何も、にっこりした、いわゆる良い表情で撮らなくてはならないということは、ないような気がする。僕自身は、写真を撮られるのがすごく苦手なので、レンズを向けられるととても緊張してしまう。緊張した顔も、僕はそれはそれで自分らしいと思っている。

 昨日、公園で撮った子供の写真は、泣き顔だったけどそれはそれでいいと思っている。すました顔も、笑った顔も、緊張した顔も、泣き顔も、全て真実の姿であるからだ。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://o-e.main.jp/mt/mt-tb.cgi/79

コメントする

管理人について

このブログ記事について

このページは、うたろうが2005年11月24日 20:57に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「ゴミ掃除」です。

次のブログ記事は「楽しい写真ライフ」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

アーカイブ

Creative Commons License
このブログはクリエイティブ・コモンズでライセンスされています。
  • 累計
  • 今日
  • 昨日