2006年11月アーカイブ

大王崎

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 土日は、三重県の大王崎へ行ってきました。ここへ行くのは3回目です。青空をバックに白い雲、白亜の灯台というベタな風景を、大判で撮ろうとしたのですが、当日は風がビュービュー吹いてるし、天候は曇りで、一応、撮影はしたものの、当初の想定とは異なるものでした。しかし、この大王崎は、灯台のある風景のみが良いのではありません。

 石工の町でもあるため、あちこちに石畳の道や階段があるし、海辺の潮風にさらされた建物も風情があるし、漁港周辺も散策していて興味が尽きません。

 さてさて、大王崎の町を散策した時のスタイルですが、三脚にタチハラを付けたまま、三脚を縦にして肩に立てかけるように歩きました。しかし、路地の細かい箇所を撮影するのに、タチハラでは対処出来ない場合が多いので、50mmを付けたニューマミヤ6をたすき掛けにして、ウエストバッグには、レリーズやルーペ等の小物を入れ、大判用の交換レンズやフィルムホルダーは、リュックサックに入れて背負うという出で立ちでした。かなりの重装備ですけど、このスタイルでかなりの距離を歩くことが可能です。

 天候が優れなかったせいか、観光客はほとんどいないし、絵描きの町と呼ばれるこの町ですが、絵を描いている人は一人もいませんでした。

 宿泊した宿は、大王崎ではなく相差(おうさつ)の民宿でした。ここは海女さんの民宿が多く、伊勢海老やアワビ等の料理が味わえます。僕が泊まった宿には、貸切露天風呂があったので入ってみたのですが、お湯があまりにも生ぬるく風はビュービュー吹いているので寒くて我慢できなくなり、暑いシャワーでも浴びようと思ったら水しか出ず、かなり寒い思いをして、また浴衣を着て、急いで室内の風呂に入りました。

 翌日は、相差を散策し、帰りに津の阿漕ヶ浦を散策しました。ここでは、灯台をバックに浜辺のユリカモメを撮っていたのですが、振り向いた時に肩がロールフィルムフォルダーに触れてしまい、一瞬パコッと
カメラからロールフィルムホルダーが外れ、感光させてしまいました。これは、ついてないです。どれくらいの被害が出たのか、現像してみないと分からないですけどね。

 アンセルアダムスの「The Print」を折りを見て、あちこち読み進めている。それにしても、和訳の仕方が下手くそというか、この本の日本語は非常に分かりにくい。この本の中に、次のような記述がある。

「理想的には最初の想定は画像の各部分の最終的な比率と、望む縁取りとを含んでいなければならない。しかし、自然の題材はかなり複雑で不規則であり、私たちがそれを避けようと、いかに注意をはらおうとしても、小さな部分が縁に干渉して視覚的な注意を散漫にさせるだろう。ビューカメラでは、こうした細部の処理は比較的たやすいが、ロールフィルムカメラではそれらに気付くことはまったく困難であり、ハンドカメラの使用ではさらに困難となる。」

 つまり、分かりやすく言えば、フレーミングはビューカメラがし易く、フォーマットが小さいカメラを使うほどそれは難しくなる。と言ったことだろう。

 それは、最近かなり実感している。初めてビューカメラのピントグラスを見た時は、逆像にかなりとまどったが、しばらくするとそんな事は慣れてしまう。目視できる画像面積が広く、ピントグラスに格子線が引かれているため、緻密に作画することが可能である。しかも、ハンドカメラのように、いくら水平を取る努力をしても、手持ちでは、完璧にそれを実行するのは、不可能と言える。

 しかし、ここである種の矛盾が生じる。フォーマットが大きければ、多少のトリミングは画質には何ら影響することはないが、35mmでトリミングするのは、かなり影響が大きい。しかし、トリミングする機会が多いのは、35mmが圧倒的に多い。

 このことを、もう少し考えてみよう。アンセルアダムスは、フォーマットの大小で、フレーミングのしやすさが決まると言っているが、カメラの構造にもそれは異存すると思う。RF、SLR(プリズムファインダー)を手持ちで撮影するのであれば、35mmでもブローニーでも、それは同様だと思う。TLRや、ハッセルブラッドのようなウエストレベルファインダーであれば、全体を見渡すのが容易であるため、作画し易いといえる。三脚に据えれば、さらに作画はし易くなるであろう。

 アンセルアダムスは、ノートリミングには拘らない人だ。しかし、彼の場合は、撮影後の救済措置としてトリミングするわけではない。ビューファインダー上で撮影時にトリミングしてしまうのである。8×10フォーマットで撮影しても、理想的なアスペクト比率が、6×7であれば、撮影時にそのようにしてしまうのだ。こういったことは、小フォーマットになるほど、実行は困難になる。

 僕は、残念ながら、まだまだそこまでは自由な撮影者ではない。4×5なら4対5、6×9であれば6対9でフレーミングしてしまうのである。つまり、指標がなくては、フレーミング出来ないのだ。自由な比率で、切り出すことが出来る視点を持つことが出来たら、世界は変わるかもしれない。35mmばかり使っていると、2対3の呪縛から解き放たれることはない。

 図書館で、アンセルアダムスの「The Print」の日本語翻訳版を借りた。市町合併前の人口が5000人を下回る小さな町の小さな公営図書館に、何でこんな蔵書があるのだろうか?この5000人の中に、暗室関連の本を求めていた人がいたのだろうか?

 それはさておき、まだ途中までしか読んでいないけど、この本はなかなか興味深い。単なるプリント作業の手引書というよりは、アンセルアダムスの作品が出来た裏側を見ることが出来るのである。

「The Negative」 「The Print」 「The Camera」

 このアンセルアダムスの3冊は、英語版では販売されているけど、日本語翻訳版は絶版になっているので、図書館に頼んで買ってもらうというわけにはいかない。安く買える機会があったら、古本で買おうかと思って、アマゾンを見たら、かなり高い値が付いている。もうちょっと、悩んでみよう。


 アンセルアダムスとブレッソンは、同時代に生きた写真家だが、ブレッソンはアンセルアダムスに対して批判的な意見を言っていたみたいだ。

「こんな戦時下において、風景写真なんか撮って!」

等といったふうにである。僕は、この二人はわりと好きな写真家なので、どちらの肩を持つとかってわけではないけど、それは、この二人が置かれた状況に差があるからではないだろうか?ブレッソンは戦場になった、ヨーロッパで、ナチの収容所に入れられ、脱走をしているという過去を持つので、戦場が身近な場所にあったわけだが、アンセルアダムスは、アメリカにいたので、アメリカ本国が戦場になったわけではないし、彼の作風から鑑みても、風景写真を中心を活動していたのだろう。もっとも、アンセルアダムスの撮影対象全てが風景写真であったわけではないのだが。

 ブレッソンは、自分で暗室作業をしていなかった。あくまでも、撮影者であるが、アンセルアダムスは、撮影からプリントまで、一貫して自身の手で制作している。そう言えば、アンセルアダムスのプリントに、サインが入るのは分かるけど、ブレッソンのプリントって自分でやったわけではないのに、ちゃんとブレッソンのサインがあったりするけど、これも、それぞれってことなんだろうなあ。

 大判カメラで湖に浮かぶ島を撮影するような場合があったとする。その際、手前から奥までピントを合わせるのにティルトというアオリを使う。ティルトにはレンズ部を傾けるフロントティルトと、フィルム面を傾けるバックティルトがある。フレーミンした後で、フロントティルトを使うと、当然レンズは下を向いてしまうので、フレーミングを、やり直さなくてはならなし。しかし、バックティルトだと、レンズの向きは変らないので、フレーミングはそのままで良いが、バックティルトだと、被写体の形が変化する特性を持つ。

 形が変ると言っても、湖に浮かぶ島を撮るという条件で使用するティルトのアオリ量なら、ほとんど無視してもいいだろう。垂直にそびえる煙突を撮るような条件なら、考え物であるが。

 ティルトで、ピントを合わせる方法は前述のとおりであるが、実は昨晩まで大きな勘違いをしていた。フレーミングを変えずに、ピント合わせが出来るバックティルトだが、これは、フロントティルトと逆方向に傾けなくてはならないのである。
 なぜなら、ピントグラス上では、上下逆に投影されるからである。今まで、バック部を前方に倒して、ピントを合わせようとしていたけど、全然ピントが合わなかった。

「このカメラ、おかしい。壊れてる。。まあいいや。フロントティルトでピント合わせれば。」

と、ずっと思っていた。しかし、壊れているはずもなく、傾ける方向が逆で、バック部上部を後方に倒さないといけないのであった。これは、シャインフリュークの法則を理解していれば、すぐに解決出来る問題だ。

 理屈を知らずに、ただ闇雲にやるのは、遠回りであることの良い一例だ。次回の撮影が楽しみである。

 県立図書館でアンセルアダムスの「クラシックイメージ」とマイケルケンナの「Le Notre's Garden」を借りた。

 アンセルアダムスの「クラシックイメージ」は、実は何度も借りている。やっぱり、アンセルアダムスはすごいなあって思う。何がすごいかって、ふつうにキレイをここまで出来るのは、やっぱりすごい。この本はそんなに高くないので、何回も借りているくらいなら買えばいいんだろうけど、写真集は出来るだけ買わない主義なので買わない。所詮印刷物だっていうのがあるから。でも、一冊くらいはアンセルアダムスの写真集を手元に置いておいてもいいかなあって思ったりもするけど。。

 マイケルケンナも好きなんだけどねえ。これは、フランスの庭園を撮影した写真集。庭園を撮ってもやっぱりMK風味だね。これも、良かった。まさかこんな写真集が置いてあるとは思わなかったので、ラッキーだった。

 県立図書館にはいろいろ写真集が置いてあるけど、アラー○ーはどうも苦手なので手が伸びない。何冊も置いてあるけど。

 もし、神様が(そんなもん信じてないけど)、A・AとM・K、どちらかの才能を授けてやろうって言ったらA・Aの方がいいなあ。かなり迷うけど。

 さっき、蔵書検索したら、市の図書館に、A・Aの「ヨセミテ」と「The Print」(翻訳版)があるのを発見した。「ヨセミテ」は書庫の奥に所蔵されているらしい。今まで開架棚ばかり見ていたので、気が付かなかった。(気付きようがないけど)
 「The Print」(翻訳版)は、分館にあるらしい。ぜひ2冊とも近いうちに借りてみよう。

好奇心

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20061104a.jpg

 

 以前、デジカメで撮影した後に息子(3歳)に、こんなふうに写るんだよってモニターを見せてやったら、デジカメを彼の前に見せるたびに、カメラ背面のモニターを見たがり、息子を写真撮影するどころではありません。撮る前から、見せろ、見せろという始末です。撮らなきゃ見れないっていうのに。

 そしてつい最近、大判カメラのスクリーンを見せてやったら、これがまたおもしろいらしく、せっかく息子を大判で撮影しようと思っているのに、この始末です(^^;..

 デジカメの教訓を生かして、大判のスクリーンは見せるんじゃなかった。暗くしないと見れないというのを学習したらしく、しっかり冠布かぶって見てるし。今後の記念写真の撮影はかなり難航しそうです。

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